認知症の人はすぐに行動を制限される?? スピーチロックはしていないか。
どうも認知症ケアデザイナーのはや坊です。
久しぶりの投稿になってしまいました。。
調子を崩したり別のことに熱中しすぎてしまっていました。ww
今回は認知症だけでなく介護をしている中で日常茶飯事に行われていることについて話をしていきたいと思います。
それはスピーチロックです。
皆さんは「スピーチロック」という言葉を知っているでしょうか。
スピーチロックとは一言で言うと、、
『言葉で相手の行動などを制限する』ことです。
介護をしていると、どうしても安全に過ごして欲しいという思いや、
はたまた、施設などでの介護は人手不足から
ケアを受ける側を無意識のうちに抑制してしまうことが見受けられます。
例えば、
ケアを受ける人が何かをしようとして立った瞬間に
「どうしましたか?座っていて下さい」
「こちら(ケアを行う側)でやるので何もしなくて良いですよ」
これはケアを行う側が、ケアを受ける側の心配をしてある意味『してあげよう』と
する思いからなってしまいます。
また、先ほど記した施設などではケアを受ける側が何かをしようとすると時間がかかったり、危なっかしいとして極力何もさせようとしないことがあります。
これははっきり言うと身体拘束です。
直接身体を抑制しているわけではありませんが、言葉で相手の行動を抑制をしてしまう
のですかられっきとした身体拘束です。
以前の投稿でも話していますが、
私たちが何かしようとした時にすぐに誰かに行動を制限されたらどうでしょう?
「動かないで」
「何もしなくていいよ」
かなりのストレスになることが簡単に想像つきます。
このストレスがほとんど毎日続くと考えるだけでも・・・
正直、何もしたくなくなるのは目に見えていることでしょう。
このスピーチロックが認知症を抱える人等ケアを受ける側の
身体を動かす機会を奪っていることに気付かなければなりません。
それが後々の筋力低下や体力低下を早めてしまい、より介護が必要な状態を作ってしまうのです。
◯スピーチロックをしないようにするには??
これは今までのケアの関わり方が無意識のうちに染み付いているため、
すぐに改善することは簡単ではありません。
毎回、ケアを行うたびに「この声かけや関わり方は相手のことを本当に思ってのことか?」
「知らずの内に相手のことを制限してしまってはいないか?」
それを繰り返し考えながらケアをし直す必要があります。
毎日のケアで「スピーチロック」をしていないか、、、
一度振り返ってみるとケアの質は格段に良くなると思います。。。
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。
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身体を動かすと心まで動く?? 運動から見えてくる認知症ケア
どうも、認知症ケアデザイナーのはや坊です。
10月はよく「運動の秋」「食欲の秋」などと言われていますね。
みなさんは日頃から身体を動かす機会をお持ちでしょうか?
今回は運動と認知症ケアについてお話をしていきたいと思います。
適度な運動は認知症の予防や改善に効果があるという話を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
実はこれ、、、医学的な根拠はないのだそうです。
筆者はこの医学的根拠がないという話を聞いて残念な気持ちになりました。
恐らく、皆さんの多くも同じような感覚になるのではないかと思います。
ですが、この医学的根拠というのがまたミソなのですが、
医学的根拠がないのは
「運動=身体を動かすこと →→ 認知症の予防・改善」
の効果がないというもの、、、
それだけなんです。
つまり、身体を動かしたという、身体的側面のことしか伝えられていないのです。
人は運動をすると
◯疲れた
◯汗をかいて気持ち良い
◯気分もスッキリして頭も冴える
◯適度な疲れでその後よく眠れる
など、身体を動かすことで様々な身体・心理状態になります。
先の医学的根拠はこのような身体・心理的側面については言及されていないのです。
筆者は運動をすることで得られる特にプラスの心理状態は認知症の予防・改善に大きな力を発揮すると考えています。
認知症は「脳に何らかの異常をきたすことで引き起こされます」
つまり、脳にとって良くない状態が起こると認知症になってしまう可能性がある訳です。
運動をすると、多くの人が「気持ち良い」等といったプラスの心理的側面を感じるもののはずです。
そのプラス要素は脳にとっても非常に良い状態といえます。
運動することで、脳はより活発に働き、さまざまな神経物質が脳内でたくさん行き来するのです。
これ以上に脳にとって良いことはありません。
つまり、「運動することで、身体だけでなく心理的なプラスの要素が多く生まれる。そのプラス要素が認知症の予防や改善に大きな効果をもたらす」
に繋がっていくのだと考えています。
ちなみに、運動はどんなことでも構いません。
ウォーキングやジョギングはもちろん、健康体操なども十分な運動になります。
それだけでなく、日頃のちょっとした家事なども身体を動かす機会になります。
ちょっとした運動も運動がもたらしてくれる心理的側面が認知症の予防や改善に繋がることとして、少しずつ取り組んで行けたらいいですね。
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。
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介護のために仕事を辞める「介護離職」それで本当に大丈夫??
どうも、認知症ケアデザイナーのはや坊です。
家族に介護が必要になった場合、みなさんなら自分の学業や仕事のことをどのように考えるでしょうか??
恐らく、ほとんどの方が始めは学業や仕事と介護の両立を考えて介護に当たることになるかと思います。
ですが、日が経つにつれて介護に要する時間が増えてくると学業や仕事との両立が難しくなってくることがあります。
そこで今回のテーマでもある「介護離職」のことを考え始める人が出てきます。
「介護離職」って何・・?
これは家族の介護等を理由にして、止むを得ず仕事を退職して介護に専念することです。
この介護離職は最近になって問題視されることが増えてきました。
日本では仕事となるとフルタイムでの勤務が当然のことのように認識されており、フルタイムではなくパートタイムや残業が出来ない人達は半人前扱いとされることが未だに多く見受けられます。
そのため、家族の介護のためにフルタイムで働けなかったり、残業が出来ない人たちは職場に罪悪感や気まずさを感じて仕方なく退職という形を取らざるを得ない状況に陥ってしまいます。
もちろん、介護離職をする人の中には職場環境が原因ではなく、自分自身から介護に専念したいと退職する人も一定数います。
ここで筆者が声を大にして伝えたいことがあります。
それは、、
『その介護離職、本当に決めてしまって大丈夫ですか?ちょっと冷静に考え直して見ませんか?』
ということです。
大好きな家族のために、
大切な家族のために、、
そのような思いで介護に当たることはとても素敵なことです。
ですが、介護が必要だからといって学業や仕事を全て投げ出してまで介護に専念することが本当に必要でしょうか?
また、それは本当に心の底から介護が必要な家族が望んでいることでしょうか?
介護に専念するとしている家族も望んでいることでしょうか?
筆者が「介護離職」に待ったをかけるのには大きく2つの理由があります。
まず、離職、つまり仕事を辞めるということはそれ以降の収入が途絶えることを意味します。
※今回は副業や収入が複数ある人たちのことは考慮せずに話をしていきます
収入が途絶えても生活は続いていきます。
生活をするということはお金が必要です。そのお金はどのように工面していくのでしょうか?
これまでの蓄えがあるという人もいるでしょう。
ですが、これから何年・何十年続くかも分からない介護をしながら、家族が生活していくためにお金はいくら必要なのか想像もつきません。
そのような状況でも蓄えだけでどうにかなるものでしょうか??
恐らくほとんどの家庭では難しいのではないかと筆者は考えます。
お金に余裕がなくなると、人は心に余裕を持つことも難しくなってくることがあります。
そんな経済面・心の両面で余裕がない環境で介護がうまくとは到底考えにくいはずです。
これが一つ目の理由です。
もう一つは、介護に専念するにしても介護を受ける側・する側それぞれに自分の時間を確保出来なくなる可能性があることです。
どんな状況になったとしても、特定の人(ここでは介護に専念する家族とします)だけで24時間・365日一緒にいることはほぼ不可能なはずです。
人は確かに他人のために生きる動物です。
人のために、誰かの役に立ちたいというモチベーションが自分の存在価値を高めてくれることは確かです。
ですが、それだけでは人は生きていけないと思うのです。自分のために大切な時間を過ごしてこそ、他の人のために頑張ろうという思いが強くなってくると思うのです。
これが常に介護のために自分の全ての時間を費やしていると、いずれは心身ともに持たなくなり、テレビなどでも報道される最悪の結末に繋がってしまうのです。
介護に専念すると決めたとしても、その中から自分のために時間を費やすことは決して忘れずに行ってもらいたいと思います。
以上、大きく分けてこの2つが筆者が考える「介護離職」に待ったをかける理由です。
もし、今現在で家族の介護のために「介護離職」考えている人がいましたら、一度立ち止まり、冷静に先の先まで考え直して決めていただきたく思います。
もし、フルタイムで働くことがどうしても難しい場合にはパートタイムでもいいので仕事は続ける形をとったほうが懸命だと考えます。
短い時間でも一生懸命働くことで、少しでも経済面での負担を軽減したり、自分の働きがい・生きがい作りに意識を転換してもらいたいと思います。
また、そうすることでそれぞれで過ごす時間の確保もできるので、一緒に過ごす時間がより大切なものになり献身的な介護もしやすくなるのではないかと筆者は強く思います。
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。
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認知症ケア:家族へ対するケアも同じように大切
どうも認知症ケアデザイナーのはや坊です。
人と人が分かり合えるには時間と労力が必要です。
それが認知症を抱える人とのやりとりになると、更に多くの時間と労力が必要になることが多いもです。
そこで今回のテーマですが「認知症ケアは家族へのケアも同じぐらい大切」ということで話をしていきたいと思います。
認知症のケアをメインで行っているのはもちろん家族です。
家族の中には認知症に対する理解度が十分でなかったりすることがあります。
また、家族自身も仕事や私生活などもしながらのケアですので、うまくいかない時にはとても多くのストレスを感じてしまうでしょう。
◯家族が抱える認知症ケアでのストレス◯
家族が抱えるストレスには大きく次のものが挙げられます。
◯うまく意思疎通が図れないことへのストレス
これは認知症ケアで最も多くの原因になっているのではないでしょうか。話した内容を覚えきれなかったり、きちんと理解することが難しいため何度も同じ説明を繰り返すことで生まれてくるストレスです。
◯自分の時間が確保しにくい
「一人にすると何が起きるか分からなくて心配なので目が離せない」といったように常にケアを行う家族が四六時中側でケアを行う環境も多くみられます。そうなるとやはり家族一人一人の大切な自分時間が取られてしまう形になりますので、それに対するストレスも相当なものになることが予測がつきます。
では、一体どのようにしたら良いのでしょうか?
上記のようなストレスというのは徐々に蓄積していきますので、ストレスがあるからいって今すぐにどうこうなるものではないかもしれません。
ですが、ストレスをうまく発散したり分散していかないと必ずケアを行う側の心身にも少なからず影響を及ぼします。
認知症ケアのストレスへの対応策としても大きく分けて2つになるでしょう。
◯特定の人だけでケアを行わない
これは認知症だけでなく、介護全般的に言えることですが1〜2人の特定の人だけでケアを行っていることがよくあります。それでは先ほどの自分の時間を確保することはとても難しいものになります。そのため、出来るだけ多くの人がケアに関わることが大切になります。そうすることで、ケアを行う側のストレスは分散されやすくなります。また、認知症を抱える人にとってもより多くの家族と接することが出来るので、心身への刺激が増えることで症状にも変化をもたらしてくれるきっかけにもなるのです。
◯隣近所や地域住民、または福祉事業所といったプロの手も借りる
多くの人でケアを行うことが大切だと先ほど話をしました。これは何も家族だけに限ったことではありません。家族以外の人たちでも関われる環境であれば大いに巻き込んで下さい。さらに、デイケアやデイサービス、訪問介護などのプロの手を借りることも大切な手段の一つです。
これは多くの人でケアをするという意味だけでなく、認知症に対する理解を深めたり、適切な介護方法を教えてもらうことが出来ることもメリットとして大きいからです。もし、ケアがその本人にあっていなければいくら一生懸命行っても互いのストレスばかりが溜まってしまい、健全なケアには至りません。ですので、プロから情報をもらうという意味合いでもケアの一つの手段として活用が期待できます。
これらの方法でストレスが上手く発散出来たり分散出来ると、ケアを行う側の一人一人に心の余裕が出来てきます。
この「心の余裕」がとても大切なのです。
心に余裕があるとちょっとしたことにも動ずることなく、感情に左右されずにケアを行うことが出来るようになります。それが双方にとってもとてもプラスに働きますので「心の余裕」をいかにして持つことが出来るかを検討してケアを行っても良いのではないでしょうか。
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。
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アルツハイマー型認知症の人はよく笑う、これは何かのサイン?
どうも、認知症ケアデザイナーのはや坊です。
認知症の原因として最も多いものである「アルツハイマー型認知症」
その人たちの多くにはいつもニコニコしていて、パッと見ると認知症や他の病気等を抱えているようにはとても見えない人が多いです。
それはアルツハイマー型認知症の人の『いつもニコニコな笑顔』が影響しているのではと筆者は考えています。
アルツハイマー型認知症の人がいつもニコニコしていることが多いのはなぜ??
もちろん、その人の持っている元々の性格ということが大きく関わっていることは確かです。
昔から外交的な性格の人は誰とでも仲良くなれることが得意で、初めて会う人でもすぐに打ち解けることが出来ますね。それは認知症を抱えてもあまり変わらない、というのが筆者の印象です。
ですが認知症の症状の一つに「取り繕い(とりつくろい)」というものがあります。
これは分かりやすいイメージで表現すると「愛想笑い」や「空気を読む」といったところでしょうか。
私たちも日頃の生活の中で、周りに合わせるという場面が多くあります。
その時には大して楽しくもないのに笑ってみたり、分からないこともその場の雰囲気に合わせて乗ってみたりしています。
皆さんはそんな環境で心地よく過ごすことが出来るでしょうか。
恐らく気まずさや苦痛、面倒、ストレス、、といったように心身ともに消耗するはずです。
この「取り繕い」はまさにそれと同じものです。
認知症によって覚えることが難しいかもしれません、
状況の判断がうまく出来ないかもしれません、、
ですが本人にとっては苦痛だと感じながらも愛想笑いや空気を読んでいるからこそ、周りに合わせてニコニコして必死で場に溶け込もうとしているのです。
つまり取り繕いとは認知症を抱える人たちからすると苦痛なのです。
この取り繕いをアルツハイマー型認知症を抱える人たちの多くが行なっています。
これがほとんど毎日続くのです。
もちろん心の底から楽しく感じて素直に笑っている場合もたくさんあります。
今は本当に楽しんでいるのか、取り繕いなのかの判断をケアを行う側が観察して、気付いていかなければいけません。
特に一番近くでケアをしているご家族やプロとして関わっている人が真っ先に気付いていかないといけません。
取り繕いであるならば、それをしなくても良い環境を作っていかなければなりません。
◯声かけ方法を変えてみる
◯ボディタッチ等の関わり方を変えてみる
◯何か活動などをしているならば本当に理解しているかの確認を途中々々行う
いつもニコニコしている人が心から楽しんでいるのかどうかを観察して判断する。
それをするだけでもケアの質は格段に上がり、認知症を抱える人がより肩肘を張らずに自分らしく居れる環境になるのではないか、、
と筆者は考えます。
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。
認知症ケアでプロを頼るのはダメなこと?
どうも、認知症ケアデザイナーのはや坊です。
先日は筆者が住む南国、沖縄に2つの大きな台風がやってきてしまい、大打撃を受けました。
やはり自然の猛威には人間は為す術もないことを久しぶりに痛感させられたような気がします。。。
日頃からもっと災害時の対策を立てて生活していくことの必要性を感じました。
さて、今回は認知症ケアにおいて一つのキーワードにもなり得る
「介護のプロに頼る」ことについて話をしていきたいと思います。
認知症を抱える人に限らず、多くの高齢者の場合医療や福祉に関する施設を利用している人が多くいます。
◯病院のデイケア
◯地域のデイサービス
◯ショートステイ(短期間の宿泊サービス)
など、この他にも様々なサービスが現在は選択して利用することができます。
このような施設ではご利用する方の心身に関する健康維持や向上を目的として利用されることが多いですが、それだけが利用の目的ではありません。
もう一つ、大きな理由として「介護している家族等の負担軽減」を目的として利用している場合も多く見られます。
日々、懸命に介護している家族等にとって休息の時間を確保することはとても重要な意味があります。
人間は誰しもが常に一生懸命い続けることは出来ません。
それはおそらく多くの方が理解していると思います。
ですが、介護の世界になると、未だにこれが何か悪いことをしているかのように思われたりする傾向にあるような気がしています。
では、一体なぜそのようになってしまうのか?
それは介護というのは家族がきちんと責任を持って行うべきもの・・・
という考え方が強すぎるのではないかと思うのです。
もちろんその思いはある程度必要だと思います。
また、そのように思われてケアを受けている人は幸せだと思います。
ですが、その思いばかりが強くなり過ぎてしまうとどうなるのか?
ケアをする側、受ける側のどちらかもしくは両方が限界にきてしまうリスクがあるのです。
これは子育てなどにも通するものがあるとは思います。
※筆者は子育て経験がないため、これ以上のコメントは控えさせて頂きますが・・。
人は誰かのために生きることで人生がよりイキイキしてきます。
誰かのために頑張ろう、と奮い立った経験は多くの方があると思います。
ですが、人はそれと同じように自分のためにも生きることが必要です。
そのためには自分のために使う時間が必ず必要になります。
それはケアをする側、受ける側どちらにも必要なものです。
先ほど話しました「介護している家族等の負担軽減」
この言葉がある意味でマイナスな表現として捉えられているために、医療・福祉サービスの利用を躊躇ってしまう方々がいるのではないでしょうか?
これからは「負担軽減」ではなく、
「それぞれが自分らしく生きていける為の一つの手段」
として捉えていっても良いのではないか・・と筆者は考えます。
認知症ケアでプロを頼るのはダメなこと???
それは決してダメなことではなく、よりお互いを尊重した生活が送れるようにする為のもの、として利用の検討をしてみて欲しいと筆者は思います。
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。
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帰宅要求や徘徊は不安の表れ? 安心出来る居場所作りとは?
どうも、認知症ケアデザイナーのはや坊です。
認知症の症状であり、対応に困っている人が多いもの。。
それは「帰宅要求」や「徘徊」ではないでしょうか。
※帰宅要求とは、文字通り自宅に帰りたいと要求すること。認知症を抱えている人の場合、これが説明しても理解したり記憶することが難しいため何度も同じ要求を繰り返してしまう。
※徘徊とはあてもなく歩き回ること。うろうろと歩き回ること。とされている。ですが実際には本人とっては全て意味のある行動です。
(何か探し物をしていたり、何か落ち着かなかったり、、等)
帰宅要求や徘徊が起きる原因??
皆さんがお家に帰りたい時や何か落ち着かない時といのはどういう時でしょうか?
・仕事で疲れた
・眠たい
・お家じゃないと落ち着かないから
・今居る場所や環境が窮屈だったり気まずい
・ただなんとなく・・
おそらく人によって様々だと思います。
ですが、ほとんどの場合は身体や感情がマイナスに働いている時にこのような状態になってしまうのではないでしょうか。
帰宅要求や徘徊はそもそも悪いことではない!!!!
現在でも帰宅要求や徘徊という症状が現れると、認知症状が悪化してきたと言われることがあります。
本当にそうでしょうか。
では、私たちがお家に帰りたくなったり、落ち着かない時も認知症状が悪化しているのでしょうか。
そう言うと、絶対にそれとこれは違うとういう意見が出てくるかもしれませんが。。
筆者の考えでは、これは認知症状の悪化ではありません。
ただ、
単純に不安だったり今置かれている環境が居心地悪いだけなのです。
そういったマイナス面をどうにか解決しようと「帰宅要求」や「徘徊」と言う形で現れているだけなのです。
認知症状の記憶障害により、今聞いたことを覚えきれないのでその要求を繰り返し行ってしまうだけです。
このような状態を改善するには何が必要か?
本人が落ち着く環境にしてあげる、これが解決方法になります。
言葉で片付けるのはとても簡単ですが、その方法に多くの人が困っているのも現状です。
実際にはどのようにしたら良いのでしょうか?
◯本人にとって馴染深いものなどが近くにある環境を作る
これは認知症への対応でよく言われているものですが、自分にとって思い出があったり長い間使っているものが側にあると落ち着きますね。これはある種本能的に求めているものなのかもしれません。
例:長年愛用のカバンや身に付けるもの、家族の集合写真等
◯本人の身体的・精神的な様子を把握する
これもとても大切なものです。認知症状が出ると、ケアを行う側は半ば無意識の内に認知症状からきているものだと勝手な判断をしてしまいがちです。ですが、心身の調子が悪い時にもこのような症状が出たりします。こちら側の勝手な判断で決めつけてしまうのではなく、本人の調子はどうなのか?も気にしてみるとそこのケアで症状がすぐに良くなることも多くあります。
◯本人が好きなことや好きなものを取り入れる
読書が好き、絵を描くのが好き、編み物が好き、盆栽が好き、料理が好き、掃除が好き、運動が好き、眠るのが好き、将棋が好き、テレビ鑑賞が好き、動物が好き、、
好きなことや好きなものは千差万別。
誰にでも好きなことや好きなものはあります。これらを理解して取り入れることが出来ると時間を忘れて没頭することだってあります。また、そんな好きなこと等が他の人から褒められたり、喜んでもらえたりすると人間は誰でも嬉しく感じます。そしてまたやろう、続けよう、となるのです。
そして自分の居場所だと強く感じられ、居心地の
良い場所へと変化していくのです。
「帰宅要求」や「徘徊」は対応が大変な認知症状として挙げられています。
ですがその本質を理解して、かつ本人のことを理解すると、対応方法もイメージがつきやすくなるはずです。
まずは本人が何を求めているのか、、それを理解する所から始めてみるとケアもずっとずっとしやすくなるのではないでしょうか。
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。