そのケアって「支援」?それとも「支配」?? 介護者が陥りやすい罠
どうも、認知症ケアデザイナーのはや坊です。
日頃介護をしていて認知症の方との関わりで上手くいかずに
苦労している人は少なくないでしょう。
ケアは認知症の如何に問わずと大変で時間や多くの労力を使うことになります。
そんな中、介護者の多くが半ば無意識に陥っていることがあります。
それは行なっている介護が「支援」ではなく「支配」になっているということです。
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一体どういうことでしょうか。
ケアとはそもそも何のことでしょうか。
ケア:care 大辞林等参照
②
心づかい。配慮。
③
このように様々な意味がありますが、介護者の多くはもちろん①を実践しているはずです。
それでも間違ってはいないのですが、それが身体的・医療的なサービスだけに偏りすぎているのです。
例えば介護の現場ではこのようなやりとりが毎日のように行われています。
場面A
介護者(以下:介)
「今から◯◯◯しますね」
ケアを受ける側(以下:本人)
「・・・あ、はい」
場面B
本:自分の持ち物を取ろうと席を立つ
介
「あーどうしましたか?カバン?トイレ?何ですか??良いですよ危ないですから私が取ってきますね」
皆さんいかがでしょう。
これ、本当にごくありふれた介護現場での風景なのですが、おかしい点にお気付きでしょうか?
そう、本人に何一つ決定権がないんです。
自分のことなのに自分で決めたり、というか考えたり悩むことさえ許されていないんです!!!
人間というのはやりたいこと・やりたくないことが人それぞれあり、なおかつそれをほとんど自分で決めて行動に写しているはずです。
※筆者を含め多くの人は学校や会社・社会からがんじがらめにあって決められない人が多いのも事実ですが・・www
これまで当たり前にあった考える権利・悩む権利・選ぶ権利をいとも簡単に奪われてしまうのです。
これは介護をしている側が強制的・意図的に奪っているのではありません。
ケアを受ける側の安全面などを考慮しすぎたせいで無意識にそうなってしまっているのです。
でも、、、これ、、、正直、、、相当たちが悪いんです!!
ケアを行う側はまず、ケアを受ける側の視点に立ち、何を望んでいるのか、何を望んでいないのかを丁寧に読み取ることから始めなけれればなりません。
ケアは『寄り添うこと』
であり、寄り添うには相手の気持ちや立場などを考える必要があるんです。
ケアを受ける側のほとんどは身体的・医療的サービスは求めていません。
寄り添ってくれることを望んでいるのです。
それをケアの根本に置いて関わらないとより良いケアは到底行えません。
皆さんの行なっているそのケア、、、「支配」になっていませんか?
認知症を抱える人もケアを行う側も双方にとってより良い環境になることを切に願って。。。
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