「役割」や「日課」を持つことで認知症ケア?
どうもはや坊です。
認知症ケアにおいて重要視されているものはいくつかあります。
その中から今回は「役割」と「日課」について話をしていましょうね。
写真引用:https://www.legalario.com/blog/inseguridad-en-el-trabajo-por-los-recientes-sismos/
私たちは毎日さまざまな仕事をこなしながら生活しています。
上の写真にもあるように職業もありとあらゆる分野の仕事が存在しています。
仕事とは、もちろん生活していく上で、お金が必要になりますからそのために働いているものでもあります。
ですが、それだけでなく他の人の役に立っていることが実感出来ると、とてもやりがいのある仕事だなと感じることは誰しも経験があるのではないでしょうか。
人の役に立つ=自分の役割(仕事や家事など私生活も含む)
その実感は自分自身の『生きがい』にも繋がり、充実した生活になります。
その役割を感じれば感じるほど人生はイキイキとしたものになっていきますよね。
また、「日課」にも同じような働きがあると筆者は考えています。
ここでいう日課とは、、
例えば
・朝起きる➡歯を磨く➡身支度をする➡仕事に行く
というような日課とは異なり
◯決まった曜日にゴミ捨てを行う
◯飼っている魚に餌やりをする
◯孫の面倒をみる
◯洗濯物をたたむ等
自分のことではなく、自分以外の人やモノに対して持つ自分のある種の役割を指している日課です。
これもまた、自分がその日課を行うことで助かる人がいたり、喜んでもらえたり、信頼されたり、、
そのような感情の動きが感じられると人は先程の「役割」と同じように自分の存在意義を見出だすことが出来ます。
私たちはその「役割」や「日課」が日頃の生活で大切なものだと理解しています。
理解しているにも関わらず、認知症を抱える人にはそういった役割や日課を持たせていないことが多いのです。
“危ないからおばあちゃんは何もしなくていいのよ”
“おじいちゃん、余計なことはしないで下さい”
確かに、認知症を抱える人が行う行動はみていて危なっかしい場面が多いことは実際にあります。
特に転倒や怪我をしてしまっては本人にも良いものとは言えません。
ですが、だからといって認知症を抱える人たちからほとんどの「役割」や「日課」を奪うことが正しいことなのでしょうか。
自分自身の存在意義としてあるはずのこれらが奪われると、本人たちは何を楽しみにして、生きがいにして、生活していくのでしょうか。。。
私たちがそれらを奪われてしまったら果たしてイキイキと毎日を生きていくことが出来るでしょうか?
「役割」や「日課」を持つことで人は充実感を持つことが出来ます。
充実感が持てるということは“心がポジティブ(安定)な状態を保てる”ということです。
心の安定は認知症ケアの基本です。
記憶障害など認知症の中核症状は完全に抑えることは出来ません。ですが、不安やイライラなど心の不安定さからくる周辺症状は“心の安定”で抑えることが出来ます。
認知症ケアを考えた時の「役割」や「日課」では3つのポイントがあります。